Colloquium for Young researchers in History and Philosophy of Science

科学史科学哲学若手研究会(仮称)

科学と民主主義の夢:コンドルセの「アトランティスについて」再考

発表者:広島大学 隠岐さや香

2010年第一回研究会発表要旨

今、啓蒙の時代の思想を問うことにどのような意味があるか。二十世紀後半にはポストモダン思想をはじめ多くの論者により啓蒙の負の側面が指摘され、結果として十八世紀啓蒙の多様な側面への理解が深められてきた。それは同時に1960年代ごろまでの「近代主義」的な諸思想、ならびに急速に発展したテクノクラティックな「専門主義」的官僚機構に対する批判、反省的視点とも呼応した反応であったように思う。だが、今改めて啓蒙期の思想を読むと、我々は依然として啓蒙の思潮が提示した課題の中にいるのではないかという気がしてくることがある。特に科学と民主主義、専門家支配の関係について考えるとき、その思いは強くなる。本研究会ではそのような素材の一例としてコンドルセ(1743-1794)の「アトランティスについて」を紹介したい。

コンドルセの「アトランティスについて」は彼の遺著、『人間精神進歩の歴史』(1795)との関連で用意された草稿であり、タイトルが指し示すようにF.ベーコンの『ニュー・アトランティス』(1627)を意識している。ただしその内容は「啓蒙」があまねく人びとに行き渡った未来の世界、政治的混乱もなく平和で、科学・技術や医療が大変発展した社会の物語となっている。またそれは同時に、人びとが知的になり、科学の研究者と一般市民を分かつ境界線が限りなく曖昧になった時代としても描かれる。

ベーコンによる未完のユートピア世界記述が、人びとの習俗という問題に加え、優れた科学・技術の保持という点に焦点を当てていたとすれば、コンドルセのそれは確かにその系譜の最後に位置する。これ以降、理想の世界は科学だけではなく、労働など、他の要素との関係を考慮せずには記述されなくなるだろう。他方で、同論考はベーコンの議論には存在せず、また、それ以降のユートピア思想においても必ずしも深められなかった独特の論点を持っている。それは科学の専門制度と民主主義の両立はどのようにして可能なのか、という問いである。 同論考が執筆されたのはフランス革命と共和国の創設という歴史的事件の渦中においてであった。当時のコンドルセは投票理論の数学化に関心を持ち、同時に間接民主制を支持する政治思想家だったことでも知られる。また、彼をはじめとする学者達にとってフランス革命は、民主主義のシステムが科学と理性により形成できるかを問う社会実験の様相をも呈していた。だがコンドルセは、政治の民主主義システムへの関心のみに留まらなかった。彼は科学的研究を民主的に「統御」するための制度をいかに構築するべきかについても考察していたのである。それは前述の世界を舞台に、国家の研究計画とそれに参与する研究者の選出に対し、市民が一種の投票制度を通じて関わるというものであった。そしてその内容は、今日の科学技術論における「参加型意思決定」に関する議論とその諸実践を経由した我々にとって、奇妙なアクチュアリティを感じさせる要素を孕んでいる。

本発表は端緒に突いたばかりの研究報告であり、特に思想史研究としての結論を提示することを目的にしていない。それよりは実験的に、思索と対話を目的として、コンドルセの議論と現代の状況とをすりあわせ比較するような事も含めた議論が出来ればと考えている。もちろん、十八世紀の思想は当然ながらそのままでは「お手本」にも純然たる批判対象にもなりえない。時代背景の違いを十分に考慮しつつ、コンドルセの提示した「科学の民主的な制御」システムが今日のそれとどう違うのか、いかにそれが不可能であるかを考えるところから話を始めたい。その上で、それでも我々の心にさざ波を立てる要素がもし仮にあるとしたらそれは何か、ということを議論を通じて自由に考えていければと思っている。

 

 

Colloquim for Young researchers in History and Philosophy of Science

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