Colloquium for Young researchers in History and Philosophy of Science

科学史科学哲学若手研究会(仮称)

科学的実在論と予言主義

発表者:東京大学 工藤怜之

2010年第一回研究会発表要旨

科学的実在論争は、科学哲学のトピックの中でも、特に科学史分野とのつながりの深いものとみなされてきた、と言ってよいだろう。例えば、実在論争関連の文献において繰り返し引用されてきたHilary Putnamの論文によれば、科学的実在論の主張は「必然的真理とみなされるのではなく、科学の成功に対する唯一の科学的説明の一部をなし、したがって、科学や、科学と対象との関係についての適切な記述の一部をなすとみなされる」とされる。この論文に劣らず言及され続けてきたLarry Laudanの論文は、科学史上の事例に訴えることによって実在論を批判している。

科学的実在論争が大きな盛り上がりを見せたのは1980年代のことであったが、その後も、いくつかの新たな論点が検討されてきた。本発表では、そのような新たな議論の展開のひとつ(と解釈しうるもの)として、次の二つの論点を紹介する。

a.「理論の成功」として、予言の成功と収容の成功を区別する必要がある
b.「奇跡論法」と呼びうる論証として、複数の種類を区別する必要がある

これらのアイデアによって、悲観的帰納法などいくつかの実在論批判を回避する有効な方策が、実在論者には開けてくる。しかし、そのような方向で科学的実在論を擁護することは、重要な帰結を招くように思われる。まず、予言主義(predictivism)に依拠して実在論を擁護するには、一定の形而上学的前提、特に、因果関係に対する一定の理解を要請せざるを得ないだろう。というのも、予言の成功を説明し、理解可能にするような概念的道具としては、我々は因果概念を持ち出さざるを得ないように思われるからである。さらに、このような議論は、観察可能なものと不可能なものの間に線を引く科学的反実在論を斥けることはできるかもしれないが、観念論と対比される意味での実在論を脅かすような要素を孕んでいるかもしれない。

ところで、上のような考察は哲学的には意義を持ちうるかもしれない(少なくとも、そのように期待したい)。しかし、科学的実在論争が科学史とどのような仕方で関係するものなのか、発表者は摑みかねている。科学哲学者の研究は科学史家の目にはどう映るのか、科学的実在論争というトピックは科学史と科学哲学の協働の場であることができるのか、といった点について、意見交換ができれば有意義であろうと思う。

 

 

Colloquim for Young researchers in History and Philosophy of Science

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