第2回研究会

京都大学文学研究科第2講義室,2008年9月13,14日.→当日の様子

9月13日(土)

13時 - 16時 「遺伝子概念をめぐる討議(仮)」
16時 - 17時 個人発表:松本俊吉(東海大学)/小野山敬一
17時 - 18時 運営会議
18時 -     懇親会

9月14日(日)

10時 - 12時 個人発表:梶智就(静岡大学)/中島敏幸(愛媛大学)/伊藤希(筑波大学)
13時 - 15時 WS「集団遺伝学の描く世界観」 :森元良太(慶応大学),田中泉吏(京都大学),中尾央(京都大学).

9月15日(月)

13時 - 16時 生物基礎論研究会 秋の特別セミナー
森元良太「進化・確率・情報」(要旨はコチラをご参照ください).

発表概要

松本俊吉「『新優生学』をどう考えるか」
ヒトゲノムの解読とともにヒト染色体上の遺伝子の機能が次々と特定され,その中にはいくつかの重篤な病気の発症と相関を持つものも見出されており,こうした「欠陥」遺伝子を直接治癒する遺伝子治療も発展している.さらには出生前診断に基づく選択的中絶,着床前診断に基づく受精卵の選別という形でダウン症などの重度の先天的疾患と相関した遺伝子を排除することによって,「健常な」新生児を産むという生殖技術が,すでに現実のものとなっているが,これはある種の「消極的優性」だと言われる.他方で,受精卵のゲノムの遺伝子情報の操作によって新生児の先天的な資質や能力を向上させるという,いわゆる「ジェネティック・インハンスメント」ないしは「デザイナー・ベイビー」も,技術的にはそう遠くない将来に可能となるだろうとも言われている.これはある種の「積極的優生」だと言われる.けれども,現代の遺伝子技術の急速な進歩によって可能となり,一部すでに導入・実施されているこうした生命の操作・選別の行為は,当事者の主体的な決断によってなされているという点で,国家権力などの強制の下に導入され前世紀に盛衰をたどった悪名高いかの「優生学」とは区別して,「新優生学」「リベラル優生学」などと呼ばれてもいる.本発表では,この新優生学にともなう、様々な倫理的・哲学的問題―例えば遺伝子改変は神を演ずる不遜な行為か,コーヘン=ボイヤーの遺伝子組み換え技術(1973)以降のバイオテクノロジーは「生命の根源」や「人間の本性」に介入するという点でそれ以前の物理・工学的なレベルでの様々な技術と質的に異なるものなのか,安全性やリスクの観点からの分析はどこまで有効か,消極的優性は障害者差別なのか―という問題について,大まかにではあるが私なりに考えてみたい.

小野山敬一「システム的種概念とタクソン学」
タクソンは,分類においてはクラスとして機能している.しかし,種タクソンによって指示されるべきものとは,現在作動しているシステムである.このような各システムによって生物体が産出され,それゆえにそれぞれの種タクソンに属するのであり(種階級属員性の意味),また,システム間の離散性(それゆえ雑種が認定できる.ただし離散性は論理的にはシステムの成立要件ではない)によって,生物体を個々の種タクソンに同定することが可能となる.種とは,その種タクソンに属する生 物体を産み出すメカニズムをもつシステムである(システム的種概念による<種の定義>).われわれは,科学的説明にはならない系統なる小説作りよりも,このような現在成立し作動しているシステムのメカニズムを問題とすべきである.種システムの究極的認定(したがって客観的かつ自然的分類)やメカニズム的モデルの提出は,細胞内分子形態(特に制御用化合物として機能するRNAや酵素)のレベルから生物体形態のレベルまでの物の振る舞いを統合的に研究することによってなされ得る.

梶智就「体制の断続と機能相関の変更」
新たな体制を生み出した進化的過程を考えるならば形質間の機能的相関の変更に言及することが不可欠であることを指摘し,具体的な比較形態学研究の事例を用いて新たな体制を生み出す機構について議論する.

中島敏幸「生物学的実在と階層のモデル」
心は実在をいかにして知るのかというモデルをベースに,生物学的階層のモデルを論じる.

伊藤希「進化・変化・形式化」:
いわゆる種問題の議論の一つに、種はクラスか個物か、という議論がある。種を個物とする立場は、クラスには不変の本質があるのだから、進化とは相容れないという論を根幹に有すると考えられる。しかしこれは語の誤った用法、進化と変化の混同に由来する疑似問題に思われる。以下にそれを示す。我々一人一人と同様の意味での生物個体を前提として、生殖可能性を同値基準とする同値類として種概念を構成できる。この同値類について、自然数の生成系列と同様の操作により、生殖系列を構成できる。ある生殖系列によって生成された世代の十分異なる個体集合対が、互いに生殖的同値関係になければ、種分化が起きている。また、個体集合間では共有されていないが、それぞれの個体集合内では共有されている形質状態の対が存在すれば、その形質が近傍世代でも安定して観測されるという条件で進化が起きているといえる。ここで種 A から種 B が進化したと言ってしまいがちであるが、「進化する」のこの慣用的な用法は「変化」を含意しており混乱の元である。変化は単一の物体にのみ起こり得るのであって、比較した個体集合は異なる集合なのであるから、そこには変化は起こり得ない。こうした混乱は操作的形式化を適切に行なえば防げるものである。生殖可能性による同値類としての種概念とそこでの個体集合の生成系列は、いわゆる tree thinking といわれる時空連続体的なモデルや、Phylocodeに象徴さえるクレイドを分類群と考えるというスタンスを無効化してしまう。ここには有理数と実数との間と同じ構造の断絶があり、種個体説はその断絶を直結しようとする主張であると考えられよう。生物学にとって必要なのは、種個体説に代表されるコミットメントを付加してもその否定を付加してもどちらも真となるような論理的枠組であり、その意味では公理的生物学は再評価されるべきであろう。

WS「集団遺伝学の描く世界観」
集団遺伝学は,進化生物学の核として現代的総合の土台を築いてきた分野である.一方で,近年の進化発生学(エボ=デボ)の目覚しい発展により進化生物学の諸分野は大きな影響を受けている.この時期に,集団遺伝学の基本概念を新たに見直すことは重要な課題であろう.そこで,本ワークショップでは集団遺伝学の描く世界を多角的に検討する.